
クタビーチのサンセットと息子たち
バリ島の魅力と言ったらあなたは何を思い浮かべるでしょうか。。。
常夏の島、青いビーチ、サーファーズアイランド。
一年中色とりどりの花が咲き、緑が茂る。
独特の文化と宗教でありながら、様々な人種が暮らしている。
スコールの後の肌を焦がす日差し、熟れたマンゴーやドリアンの強烈な芳香。
伝統的なアート、絵画、どこか懐かしく心が洗われるようなガムランの音色。
神々が棲む島といわれる神秘のエネルギー。
安くておいしいローカルフードにフレンドリーなバリニーズの笑顔。。。
バリ島にハマる
わたしが初めてバリ島に訪れたのは、20歳の頃。
当時は日本でOLをしながら、週に一度仲間と波乗りをするのが楽しみで仕方なかった生活。
しかし、それだけでは飽き足らず『もっとイイ波に思う存分乗ってみたい!!』と、思うようになり
【バリ島女一人波乗り三昧の旅】することを決意。
ハワイやオーストラリアでもなくバリ島を選んだのは
「物価も安いしなんとなくお手軽そうだったから」
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初めてのバリ島はたった3泊5日の短い旅。
バリニーズ流のおもてなしをたっぷりと受けた私は
パワフルな波と一人旅の刺激的な余韻に浸りながら
ビーチでキンキンに冷えたビール(当時の値段小瓶一本約75円!!)を飲んでいた。
まんまるの太陽が海に還っていき、空が紅く染まった時
『また、必ずここに戻って来よう』
そう決めたっけ。
バリ島に旅行したことがあればきっと分かるハズ。
・「うん、めちゃくちゃ楽しかったねー!次の海外旅行はどこに行こ?」「いや、お腹壊してもう無理だわ」
と、いう方と
・「バリ島ってご飯も安くて美味しいし、最高!次はあそこもここも行ってみたい!」
と、なって何度も通いたくなってしまう方がいると思うんです。
そう、後者のタイプの方はいわゆる、バリ島にハマってしまったのです。
当時わたしのまわりにいたすでに何度も行き来している方や、住んでいる方たちは口々にこう言います。
『すかっりバリ島にハマったな。なんでか分かるか?バリ島の神様に呼ばれたんだよ。』
日本での結婚生活
ホステスとして働きがっつり稼ぎ、バリ島長期滞在→日本で稼ぐ→またバリ島の生活を繰り返しているうちにクタビーチで知り合った日本人男性と紆余曲折を経て2010年に結婚。
翌年には長男も生まれ、バリ島旅行もしばらくお預け。
神奈川県の茅ケ崎に家族3人で暮らしておりました。
オシャレな街で波乗りは生活の一部な方たちが暮らす土地は
わたしもとても気に入っていました。
そして、この地でこどもが育ち、やがて学校にも通うようになり
子供もサーファーになり、わたしたちもいい感じに年を取り
それなりに色々ありながら老後を迎えて暮らしていく。
めでたしめでたし
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?????
そこまで自分の人生を想像してしまったわたしは
『あれ?ちょっと、なんかそれってすっげーつまんなくね??』っと思うようになっていたのです。
慣れない子育てでヘトヘトに
わたしは毎日こどもと過ごしていました。
旦那は仕事で帰ってくるのは夜遅く、わたしたちの寝た後です。日中はこどもと二人きり。
こどもはとても可愛くて仕方なかった。
それなのに、突然物凄い虚しさがこみあげてくるのです。
息子と二人、二人しかいない部屋。こどもを育てなければならない、守らなければならない。
~しなければならない。~しなければならない。
わたしは疲れていました。産後うつでした。
よし!バリ島に住んでみよう!
ただ単に、育児に追われ、単調に見える生活から逃げたかっただけなのかもしれません。
バリ島での鮮烈な、非日常であった生活の禁断症状が出ただけかもしれません。
旦那に対する育児の不満も募り、夫婦関係もぎくしゃくする日々。
『環境が変わればもっと楽になれるかも。』は安易な考えでしょうか?
それでもわたしはどうしても試してみたかったのです。
『もしあの時のようにバリ島で生活できたなら。。。』
『バリ島に引っ越そう!!』
なかば、ほとんど決定事項のように旦那に伝えたと思います。
それでもわたしの現在の状況を伝えると、すんなり理解してくれたようです。
そして何より『なんだか面白そうだ』と、思ってくれる楽天的な旦那です。
【仕事も手に職もないのに家族で移住するという無謀すぎる計画】は
移住までの準備期間を半年間に設定し、その間に下見に行くことを決めました。
出発日のカレンダーに記されていたのは…
茅ケ崎のアパートを引き払い、旦那も会社を円満退職。わたしたちが日本を経つ日は2012年6月18日。
出発当日の朝、何気なくカレンダーを見てみると、なんとその日は。
海外移住の日。
わたしは心密かに『これは確実に人生の大波に乗ったな』と、確信していたのです。
移住後半年間の極貧生活
下見はしたものの、なんとかなるさ精神しか持ち合わせていないわたしたちは、住むところも決めずバックパック2つとサーフボードのみを持ちバリ島に到着。
まずはビーチ近くの安宿に泊まり、探し歩いて最初の我が家となったのは、当時のレートで一か月2万円弱の外国人向けのアパート。

家族3人ワンルームの激安アパート
キッチンなし、トイレも水洗ではなく手桶でジャーっとながすタイプ。

もちろんバスタブはない
それでもマットレスと戸棚とテレビが備え付けてあったのですぐにでも生活できました。
貯金を切り崩す毎日のため、必然的に貧乏生活。
毎日少しでも安いローカルフードを探し求め、10円20円ほどでも
『ぼったくられた?!』と思えばイライラしたり。
長期滞在ビザ取得のための費用もかさむので
少しでも安く済ませようと、自分たちだけで手配を試みて
疲労困憊したり。。。
それでもなんとか生活にも慣れてきて、ビザの事もひと段落し、数か月経とうとしたけれど、、、
うちの旦那。。。

この風貌で職探しは困難か
一向に仕事を探す様子がない。
1歳になったばかりの息子の子守りを交代で、波乗りする時以外
息子の相手はすべてわたし。
狭い部屋だから大して時間もかからないけれど、それでも何かと汚れるので毎日の掃除もわたし。
(妊娠中、「風呂掃除は俺がやる!」と言っていたのはどうやら期間限定だったようだ)
毎日波乗りとフェイスブックばかりして(いるように見えた)
毎日大量にナシチャンプルを食べ(事実)
毎晩大量にビールを飲む。(確実に事実)
私もね、最初は「日本では仕事三昧だったから、しばらくゆっくりさせてあげよう」
と思っていました。でもね。。。
『お前っ!!フェイスブックばっかしてねぇで仕事しろーーーーーーっ!!!』
っとブチ切れ、取っ組み合いのケンカにまで発展してしまったのです。
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どうやら『行っちゃえば何かしら仕事はあるだろう!』
の考えは甘すぎたようです。
それでもわたしたち家族は、バリ島の神様に見放されてはいなかった。
家族崩壊のかかった取っ組み合いのケンカの甲斐あって、あれよあれよという間に、わたしのバリ島コネクションのそのまたコネクションと旦那の持ち前のむさくるしさ情熱と人の好さで、何とか某現地ツアー会社に雇ってもらえることになったのです。
雇ってもらえるといっても、まずは試用期間。
お給料は少なく、しばらくは貯金がどんどん減っていきました。
大金持ちの旦那をゲットし、わたしたちよりも先にバリ島に住んでいた
独身時代からのバリ友がうらやましくて
『くっそーあたしもいつかは!!』なんて思っていた時もありました。。
現在の生活
2014年一月、バリ島で次男を出産。
家族4人のバリ島生活になりました。
今ではワンルームのボロアパートではなく、プールのついた住み心地の良い家に住み
毎朝、鳥たちの鳴き声と共にワクワクした気持ちで太陽を眺め
こどもたちを学校に見送った後は
好きな時に好きなポイントで乗波乗りをする。
こどもたちを乗せてバイクを飛ばし、ウブドのホテルでライステラスを眺める。
お気に入りのバーで冷えた生ビールを飲みながら旦那と贅沢な時間を過ごす。
そして、わたしはバリ島の神秘的なエネルギーを感じる。
インスピレーションや直観に動かされるのを感じる。
それをもとにアクリル絵画も始めた。
バリ島に移住してきて、本当に良かった。
心からそう感じている。
日本にいるときよりも生活水準が確実に上がったし、家族で過ごす時間が増えた。こどもたちはのびのびと育っている。
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そして、バリ島移住の夢を叶えてしまった今、さらに壮大な夢の計画があるのです。。。
夢を叶える

レンボンガン島で撮影したウェディングフォト
わたしたちは幸か不幸か、何も持っていませんでした。
キャリアも、お金も肩書も、家や車やなんかの財産も持っていなかった。
だから行動することが出来たのかしれません。
移住したばかりの頃は、なんども
『もう嫌だ、こんな生活がしたかったわけじゃないのに(泣)』と思いました。
それでもそんな気持ちよりも
絶対に憧れの生活を手に入れる!絶対に大丈夫!
の気持ちのほうが強かったんです。
バリ島に住みたい!!と、強い思いを持っていてもやはり海外。
住むのと旅行するのは大きく違います。
意思疎通、衛生面、医療、子育て、お金のこと、、、
心配なことはいくらでも出てきます。
そして一番のネックは日本での生活を手放すことではないでしょうか。
当たり前のように日本語が通じて、収入も安定していて、何かあっても国の保証を受けられる。
その生活から安心を見出しているうちは、移住にはなかなか踏み切れないかもしれません。
わたしたちのように移住を試みて
やっぱり日本で暮らすことを選び、帰っていく方たちもいるのです。
「何年か住んでみたけど、日本が恋しくなった」
「実際に生活してみたら、なかなか環境に馴染めなかった」
「思うように収入が入ってこない。。。」など理由は様々です。
わたしには、バリ島移住前からとてもお世話になった日本人夫婦がいます。
わたしの住む界隈では彼らのことを知らない人がいないくらいの
世話焼きでお人良しで人気者の夫婦でした。
彼らのおかげで、信頼できるビザのエージェントを紹介してもらったり、住むところのヒントや、バリ島の物価の相場のことや、旦那が仕事に就くことができたのも、彼らのコネクションのおかげでした。
その夫婦も17年間のバリ島生活を終えて、今は日本で生活しています。
彼らを日本に見送った時、私は心に決めたことがあります。
『今後は私が彼らのように、移住してきた方たちの助けになろう』
バリ島移住の夢を叶えるために、移住に関する必要な情報やバリ島での子育て、リアルな生活をお伝えし、すこしでも手助けができるように、と思いこのブログを立ち上げました。
しかしバリ島移住は情報を得て行動しただけでは叶いません。
必要なのは【意志・覚悟・運】です。
【運】は【運び】です。やってくる【運】を【運ぶ】のです。
チャンスやタイミングともいいますね。
でも待っているだけじゃ眺めているだけじゃ身を任せているだけじゃダメなのです。
【意志・覚悟】のうえ、どのように【運】を【運ぶか、行動していくのか】です。
わたしたちのように
【仕事も手に職もないのに家族で移住する無謀すぎる計画】にも
絶対にバリ島に住む!という【意志】と日本での生活を手放す【覚悟】
そしてやってくる【運】に見合った行動ができたからこそ今があります。
【運】は運ばないと離れて行ってしまうのです。
いきなり移住じゃなくてもいい。一年、半年、なんなら下見だけでも。
行動する、それだけで人生の波が大きく動くことがある。
そして、もしもバリ島の神様に呼ばれたのなら、きっと受け入れてもらえると信じています。

更に観覚を研ぎ澄ますため瞑想修行中
わたしには、今、叶えたい夢があります。
それはバリ島で叶える、壮大な夢です。
わたし一人で叶えて、一人で満足するような夢ではありません。
バリ島に魅了されてしまったあなたと一緒に分け合える夢です。
このブログを立ち上げたことが、その壮大な夢を叶えることに繋がっていく。
そう確信しています。
今はまだ、夢の内容を詳しくお伝えすることはできませんが、
時期がきたら、ブログ内でも綴っていくことになるでしょう。

わたしの夢を叶えるために彼らの存在は欠かせない
どんな夢でも、叶えるためには明確なヴィジョンを保ち
今を行動していく。
一歩を踏み出して振り返れば、そこはもう過去です。
一緒に夢を叶えてみませんか?
人生はなんだか絵画のよう。
自分の好きな色や形をキャンバスにのせ
修正することも描きなおすことも塗りかえることもできる。
その痕跡は決して消えることはない。
そして今綴っているこの文章もまるで音楽が流れるようにわたしの身体のなかを通り過ぎています。
一度真っ白になってみてもいいんじゃないか。。。
家族でそう決心して、あの時行動できたことは今でも私たちの宝です。
私たちは今、とても鮮やかなバリ彩(いろ)に染まっています。